
こんにちは。よしおです。
2020年に開催される東京オリンピック。
国立競技場の建て替えで揉めてみたり、ロゴマークがパクりだのパクりじゃないだので炎上してみたり、挙句に都知事が交代してみたり…。
なんだかひどくバタバタしていて落ち着きませんねぇ…。
人々の間にも
「2020年の開催が楽しみすぎるイェーイ!」
って盛り上がったテンションの空気より、
どちらかと言うと
「これ無事に開催できるんか…?もしかして準備間に合わないとか無いよね…?」
と、ネガティブな雰囲気の空気が漂っている気がします。
(リオ五輪の閉会式のおかげでポジティブな雰囲気に変わったような気もするけど…どうなんだろう…。)
でもね、実はこれらのネガティブな所感はごく普通の小市民の人々のものです。
とある業界の人々はすでに盛り上がっちゃってます。
その業界とは…。
不動産業界。
2016年8月現在で見ると、不動産業界の人々は何だかとっても元気そうです。
Googleのニュース検索で「不動産 オリンピック」とでも打ってみてください。
景気の良い話がボコボコ出てきます。
(一部、「オリンピックバブル崩壊」とかちょっとネガティブな内容もありますが…。)
また、競技場や選手村が集まる豊洲や勝どき、東雲といったベイエリアにバンバン建てられたタワーマンションは、オリンピックの風に乗っかって中古市場で高額な値で流通しています。
2000年代後半にいわゆる「湾岸タワマン」を購入された人々はさぞやホクホクしていることでしょう。
と、ここまで「未来の」東京オリンピックの話をしてきましたが、
今日はそんな最新のマンション事情に切り込むつもりはまったくありません。(急な方向転換)
この記事ではベイエリアに建ってる新興のタワマンではなく、
「過去の」東京オリンピックの時期に建てられた最高にクールな「ヴィンテージマンション」を紹介していきます。
なぜって?
完全に個人の趣味だよ!!文句あるか!?
いやね、現代的な超高層タワーマンションもやっぱすっげーなーとは思いますし、大好きですよ。
でもこればっかりはしょうがないんです、個人の趣味ですので。
その時代のハイエンドでハイセンスな設計・仕様を「これでもかっ!」というほど盛り込み、何十年と経った今なお価値を下げることなく、
いたるところの劣化や補修の跡が月日の流れを感じさせるものの、その時代の人々の希望や期待を一身に受けて建設されたヴィンテージマンションは、現代においても堂々とした佇まいを私たちに見せてくれます。
ヴィンテージマンションは、
女優でいうなれば吉○小百合や八千○薫、
車でいうなれば2000GTやトヨタスポーツ800(ヨタハチ)、
新喜劇でいうなれば池○めだかと島木譲○なんですよ。
つまりヴィンテージマンションは、時が経つほどその魅力を増していくものなんです。
で、ここまで読んだ人はきっと、
「ヴィンテージマンションの魅力はわかってきたが、オリンピックとの関係が全然見えてこない」という感想をもっているはずです。
そう、ここまでしか読んでいなければね。
この記事を最後まで読み終えたとき、きっとあなたは1964年当時のオリンピックとマンションの関係、そしてヴィンテージマンションの魅力までしっかりわかっているはず。
ということで、早速順を追って説明していきますよー!
うひゃひゃー!
1964年、建設ラッシュと共にマンションが建つ。
1964年に開催された東京オリンピックは、アジアで初めて開催されたオリンピックでした。
高度経済成長期とはいえ2016年現在の東京ほどは当然競技場や住宅は整備されていません。
当時の東京は決して世界的に見て開発が遅れていたわけではありませんでしたが、10万人以上の来場者が集まるオリンピックを受け止めきれるほどの環境設備は持ち合わせていませんでした。
(今の東京も2020年に向けて環境整備に四苦八苦しているようですが…)
そんな中でのオリンピック開催へ向けて、東京には空前の建設ラッシュが訪れます。

原宿の歩道橋から見た国立代々木競技場
駒沢オリンピック公園総合運動場、国立屋内総合競技場(現:国立代々木競技場)、渋谷公会堂、日本武道館など、現代でもスポーツイベントやライブ会場として知られる施設がオリンピックに合わせて建設され、また、選手村や外国人記者の宿舎、ホテルニューオータニをはじめとする宿泊施設なども建設されました。
で、住宅はというと。
1962年に「建物の区分所有等に関する法律」という、現代の分譲マンションの基本となる法律が制定されたため、住宅ローンを組んでマンションを購入することができるようになりました。
もちろん、そうなると高度経済成長に乗っかってガンガン資金を増やしていた当時のお金持ちの皆さんを中心に、「マンションとかカッコいいじゃん!しかも資産になるなんて!時代はマンションだ!区分所有だ!」と分譲マンションの需要が高まるわけです。
で、法律制定してから着工して…二年も経った1964年ごろには、ちょうどマンションが竣工して…
そうです。
オリンピック前後のタイミングで、分譲マンションにはちょっとしたブームの兆しがやってきたんですね。
現代の湾岸マンションの高騰と同じく、テンションが上がると人はマンションを買いたくなるみたいです。
で、現代は湾岸エリアにマンションがバンバン建てられていますが、当時はどこの辺りに多く建てられたのかというと、実は渋谷近辺が多かったのです。
駒沢をメイン会場としながらも渋谷は選手村や公会堂、代々木競技場が建設された言わば「第二のメイン会場」と化しており、多くの外国人の来訪が期待されていました。
また、在日米軍施設「ワシントンハイツ」があったことから表参道には米国人向けのお店が並んでおり、西欧的でモダンな街並みがありました。
当時の人々はそんな渋谷エリアに、先進的で都会的な分譲マンションを求めていたのかもしれませんね。
…ふぅ。
駆け足ではありましたが、少しは1964年東京オリンピックと分譲マンションの関係性が見えてきましたかね?
といっても、
こんな歴史のお勉強みたいな話だけでヴィンテージマンションの魅力が伝わるわけがないと思っております。
なので、ここからは
私の独断と偏見で選んだ1964年東京オリンピック前後に竣工したヴィンテージマンションを実際に紹介していきます。
実際に建物を見て、その魅力を感じてほしいのです!
うひょひょひょー!
元祖億ション。コープオリンピア
所在地:渋谷区神宮前
竣工年月:1965年6月
※写真がレトロな感じの色になっているのは私の個人的な趣味によるものです。実際のマンションや風景はこんな色ではありません。
一発目にふさわしいのはやっぱりこのコープオリンピアではないでしょうか。
竣工年はちょこっとオリンピックに間に合わなかった1965年ですが、
その名前にオリンピック由来の「オリンピア」を冠したこのマンションこそ、ヴィンテージマンション界のアイコン(象徴)といってもよいのではないでしょうか。

原宿駅前より。「なんか向こう側にすごいのがいる」感がやばい佇まい。
まずこのコープオリンピアを語るうえで外せないのは恐ろしいほど恵まれた立地!
原宿駅改札を出てすぐに姿を現します。

ちなみに「南国酒家」はコープオリンピアを供給した「東京コープ販売」が創設。
表参道のケヤキ並木の日陰を受けて…くうっ!なんて贅沢な立地なんだ!

看板が並ぶだけでもおしゃれに見える。それがオリンピアクオリティ。
また、半地下になっているスペースにはテナントまで入っています。
スーパーや病院を入居させている現代のタワマンの思想を、当時からすでに持ち合わせていたんですね。
外観は日本の在来工法のように「はめこんだ」デザインになっています。
現代に生きる私が見てもこのデザインはかっこよすぎると思います。
外壁の劣化からはこのマンションがすごしてきた年月が見受けられますが、これがヴィンテージマンションの魅力です!
時の流れとともに朽ちてもなお、竣工された時代の栄華を誇る存在…それがヴィンテージマンションなのです。

ジュディオングを思い出したのは私だけだろうか。

表参道と逆側にあるエントランス。もはやホテルである。
コープオリンピアのこの贅沢な作り…それもそのはず。
日本における元祖億ションらしいんですね。
1965年当時の大卒初任給が24,000円程度だったと考えると…ヒャア!なんちゅう高級マンションや!
コープオリンピアにはまだまだいっぱい話したいことけどあるけど、尺は決まってますからね!次々!
ザ・オリジナル。秀和青山レジデンス
所在地:渋谷区渋谷
竣工年月:1964年3月
「秀和レジデンスシリーズ」と聞いてピンとこないような自称ヴィンテージマンション好きは、漏れなくニワカですのでご注意ください。
秀和レジデンスシリーズは、秀和株式会社が長年分譲してきたマンションのことで、秀和外苑レジデンスとか秀和南青山レジデンスとか秀和神宮レジデンスとか秀和参宮橋レジデンスとか秀和…(以下、割愛)…といった、名作ヴィンテージマンション揃いのシリーズのことです。
特徴として、青い屋根瓦と白い壁、独特な形をした柵があげられますね。
ぶっちゃけ、外観見ただけで一発で秀和レジデンスシリーズはわかります。

こんな素晴らしいデザインを見てよくあんな暴言が吐けたものである。
実際、以前にタマ氏が記事の中で某秀和レジデンスシリーズの物件を取りあげた時にも、名前は記載されていなくとも外観ですぐに気がつきました。
(余談ですが、その記事の中で外観が古いからって「家賃が安そうなアパート」呼ばわりした時は怒りで身震いしたもんです。)
で、この秀和青山レジデンスはそんな有名シリーズの第一号マンションです。
その第一号はどんな外観だったかと言うと…
思ったより、普通。
でもよく見てください。
青いタイルが壁に貼ってあるでしょ?
もうすでにこのころから、後の秀和レジデンスシリーズのデザインの片鱗が垣間見えます。
ちょっと引いて見てみると、その無駄の無いデザインの中に潜むラグジュアリーさが見えてくると思います。
だいたい、団地全盛だった時代にこんな互い違いにコバルトブルーのタイル貼ってあったらめちゃくちゃおしゃれに見えますよ。実際、この後から秀和レジデンスシリーズはどんどんおしゃれ志向になってあのデザインになるわけですが…。
ここがエントランスで、この先には人が常駐している受付があるんです!
1964年当時の段階ですでにフロントがあったなんて…ラグジュアリーです。

住人の注意看板。めちゃかわいい。住人もハイセンスなのがわかる。
記念すべき秀和レジデンスシリーズの第一号も、東京オリンピックの年に竣工したんですよね…
。
はぁ…。(うっとり)
世界よ、これが「デザイナーズ」だ。ビラ・ビアンカ
所在地:渋谷区神宮前
竣工年月:1964年5月
「デザイナーズマンション」の起源って知ってます?
私は知りません。
でも一つだけわかるのは、日本におけるデザイナーズマンションの歴史は1964年から始まったということです。

この幾何学デザイン。鼻血が出ますね。
このビラ・ビアンカはデザイナー・堀田英二氏の自由な感性、発想によって設計されたまさに「元祖デザイナーズマンション」。
1964年オリンピック当時に日本にやってきた外国人はさぞやこの独創的なデザインに度肝を抜かされたことでしょうね。

何この柱。何この螺旋階段。おしゃれすぎて鼻血が止まりません。
ビラ・ビアンカから始まったこの「ビラシリーズ」はデザイナーズマンションの名門シリーズとなり、現在まで数多くの秀逸な「作品」となって世に出ていきました。
ビラ・セレーナとかビラ・フレスカとかビラ・グロリアとかビラ…(以下、割愛)…などなど、「ビラ」はどれをとってもデザインがカッコいいんです。
一階はカフェになってます。
もうね、なんていうかね、こんなおしゃれな建物にカフェとかズルいと思うんです。
立て看板一個でもう十分におしゃれなんだもん。
外観がおしゃれなことと立地が原宿からほど近い神宮前であることから、アパレル関係の事務所などのテナントで今も変わらず賑わっております。
現代でも人気が衰えていないところが、まさにヴィンテージマンションですね。
いかがでしたか?
ね!?1964年ごろにマンション建ってたでしょ!?
それに建物自体も結構挑戦的だったでしょ?
オリンピックに沸いていた当時の日本人が、いかに自分たちの発展や未来に期待していたのかが見えてくるかと思います。
東京は埋め立てエリアでもない限り「人が歩けばヴィンテージマンションに当たる」ぐらいヴィンテージマンションいっぱいありますので、ぜひこの記事で魅力を知った東京住まいのあなたは街を見渡してヴィンテージマンションを探してみてください。
中々趣深い世界が待ってますぜ…!
ていうか今更気が付いたのですが、湾岸あたりのタワマンも50年経ったらビンテージマンションになるのか…。
…。
長生きしよう。
おまけ。再開発されちゃう外苑ハウス。
所在地:渋谷区神宮前
竣工年月:1964年8月
外苑ハウスは厳密には初めから分譲マンションとして売り出されたものではないのでおまけです。
1964年東京オリンピックを報道する外国の報道陣の宿舎として日本住宅公団が造成し、オリンピック後に民間に分譲され今にいたります。
まぁ、宿舎スタートなだけあって見た目はシンプルな団地です。
でも外壁とか異常にピカピカですよね。
つまりはちゃんと管理されているんです、築50年以上経過しているのに。
駐車場も都心で平置き!一体何台止められるんだってぐらい広いです。
すごすぎて鼻水出る。
しかし、残念ながらこちらの外苑ハウス。
2017年春には取り壊し、建て替えが行われるそうです、2020年を見越して…。
はぁ…時代ってやっぱり移り変わっていくんですね…。
ひとつでも多くのヴィンテージマンションが残ってくれることを切に願っています。
では、また。